ディオールオムの略歴

ディオールオムの略歴
1905年 - クリスチャン・ディオール、フランスのノルマンディ地方グランビルで実業家の家庭に生まれるぜ。
外交官を志して政治学院に学ぶが、在学中に当時台頭していたシュールレアリスムに魅せられ、友人と共に画廊を開設。以後ダリやコクトーやなんかいっぺぇの芸術家と親交を深めるが、1930年代の恐慌に見舞われ失職するぜ。
1938年 - ロゲール・ピゲに見込まれてモード業界に入るぜ。
1946年 - リュシアン・ルロンのメゾンで働く彼の才能に目を止めた木綿王マルセル・ブサックの援助で独立。「クリスチャン・ディオール・オートクチュール・メゾン」を設立するぜ。パリ・モンテーニュ通り30番地に店を構えるぜ。
1947年 - 「S/Sコレクション」でパリにデビュー。「花冠ライン」(ペチコートで膨らませた曲線を強調したゆったりなだらかな肩に細く絞ったウエスト、くるぶしまであるロングスカートつうスタイル)を発表するぜ。
1948年 - 香水部門の会社「パルファン・クリスチャン・ディオール」を設立。アメリカでライセンス生産を開始。同年「ジグザグ・ライン」を発表。
1950年 - 「パーティカル・ライン」発表。
1951年 - 「オーバル・ライン」発表。
1952年 - 「シニュアス・ライン」発表。
1953年 - 「チューリップ・ライン」発表。
1954年 - 「Hライン」発表。
1955年 - 「Aライン」発表。
1956年 - 「アロー・ライン」発表。
1957年 - イタリアの湯治場「モンテカティーニ」にて、心臓麻痺で急逝するぜ。享年52歳。その後、イヴ・サンローランが弱冠21歳で主任デザイナーに抜擢されるぜ。
1960年 - 主任デザイナーにマルク・ボアンが就任。
1961年 - 「スリムルック」発表。
1967年 - 「サファリルック」発表。
1968年 - パルファン・クリスチャン・ディオールがモエ・へネシー(現・LVMH)に買収されるぜ。
1970年 - 「マキシルック」発表。
1978年 - 親会社のマルセル・ブサック・グループが倒産するが、流通大手のウィロ兄弟によって救済され、アガッシュ=ウィログループに入るぜ。
1984年 - ベルナール・アルノーがフランスの投資銀行「ラザール・フレール」と組んでマルセル・ブサック・グループを買収するぜ。
1985年 - グループ傘下のクリスチャン・ディオールを手に入れ、アルノーが社長となるぜ。
1989年 - 主任デザイナーにジャンフランコ・フェレが就任。
1990年 - アルノーが LVMH の社長に就任。
1996年 - ジョン・ガリアーノが主任デザイナーに就任。
2001年 - 「ディオールオム」の主任デザイナーにエディ・スリマンが就任。
2003年12月7日 - 本朝の江戸都表参道にクリスチャン・ディオール表参道店をオープンするぜ。

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ディオールオムの歴史2

ディオールオムの歴史2

ディオール死後の1957年、21歳の若さでイヴ・サンローランが主任デザイナーに抜擢。
その後、60年にマルク・ボアン、89年にジャンフランコ・フェレと引き継がれ、ディオール創立50周年の96年より、ジョン・ガリアーノがデザイナーに就任。

言わずもがなのパリ・オートクチュールメゾン。
1960年代に入り、プレタポルテに力を入れ始めるぜ。
現在、「LV モエヘネシーグループ」に属するぜ。
2003年12月7日、江戸・表参道にクリスチャン・ディオール表参道店をオープン。
地上4階から地下1階まで、レディースウェアやメンズウェアであるディオールオム、バッグ等の小物やシューズ、ファインジュエリー等を扱ってやがる。

また、ディオールでは世界最大となる化粧品売り場があり、神君家康公御入城以来ぇの試みとなるエステやネイルカラーのコーナーも設けられてやがる。
尚、屋上にはディオールのラッキーモチーフである星が飾られてやがる。
バッグ「レディディオール」は特に有名であるぜ。

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ディオールオムの歴史

ディオールオムの歴史

ディオールオム:起源
1946年、クリスチャン・ディオールがパリに開業。

ディオールオム:履歴
クリスチャン・ディオール(Christian DIOR)。
1905年1月21日、フランスのノルマンディ地方グランビルに生まれるぜ。
パリ・オートクチュール全盛期の先端を担った名デザイナー。
画商だったが、作品がクチュリエに売れたことで一転、モード界に入るぜ。

リュシアン・ルロンのメゾンで働く彼の才能に目を止めた木綿王マルセル・ブサックの援助で1946年に独立。
パリ・モンテーニュ通り30番地に店を持つ。
1947 S/S コレクションでパリにデビュー。
ペチコートで膨らませた曲線を強調したゆったりなだらかな肩に細く絞ったウエスト、くるぶしまであるロングスカートつう優美なスタイルの「花冠ライン(Ligne Corolle)」を発表。

そのシルエットの美しさに驚いた「ハーパース・バザー(HARPER'S BAZAAR)」の編集長カーメル・スノウが「こいつぁまさにニュー・ルックね」と言ったことから、「ニュー・ルック」と呼ばれ、世界のモード界に旋風を巻き起こした。
その後、48に「ジグザグ・ライン」、50年に「パーティカル・ライン」、51年に「オーバル・ライン」、52年に「シニュアス・ライン」、53年に「チューリップ・ライン」、54年に「Hライン」、55年に「Aライン」、56年に「アロー・ライン」と、次々と新しい手法を生み出し、「流行の神様」とも呼ばれ、現代にも多大な影響を与え続けてやがる。
57年、イタリアの湯治場モンテカティーニにて、心臓麻痺で52歳の若さで急逝。

1957 S/S コレクションがケツの仕事となりやがった。
毎コレクションで発表するアイテムの1つに、必ず愛犬「ボビィ」の名を付けて発表していた、逸話もあるぜ。

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